舞獅子 (大山車)
大山車は4層構造の巨大な山車で、4層目には御輿が乗り、2層目の前に突き出した部分で獅子が舞われた。西町・北町・濱田・新田町の4輌あった。
祭礼最終日の27日の本楽では、まず始めに各大山車が諏訪明神の神前に桜の造花を捧げ、お祓いを受ける。これを「花納め」と呼んだ。花納めが終わると、社前で神徳に感謝する舞獅子が奉納され、その後、各町内の「黎物」が濱田村・四日市の順に奉納され、神前への「練り込み」が終わった後は、東海道を南濱田まで練ったという。
大山車は四日市祭において、最も重要な役割を果たすものであり、その創始は詳らかではないが、北町大山車の装飾品の中に「延宝7年(1679)」と記されていたといわれ、「享保9年(1724)」に諏訪神社から郡山役所へ提出された明細帳に「濱田より大山車二輌、四日市より二輌、他に練物少々御座候」とあることから、この時代から盛大な四日市祭が執り行われていたと推測される。
4輌あった大山車のうちのひとつである浜田の大山車は、東海道筋の北濱田(現在の浜田町の一部)と南濱田(現在の浜田町の一部・中浜田町・十七軒町の一部・南浜田町)の共同所有であり、北濱田と南濱田が交互隔年当番で祭りに引き出していた。その上で舞われていた舞獅子(旧南濱田。現在の中浜田町と南浜田町)が現存する。
獅子舞の流派は箕田流で、だんち・起こしの舞・扇の舞・末の舞・花の舞などがある。また、大山車曳行時に奏でるお囃子も継承されている。