四日市祭・大四日市まつり・秋の四日市祭
「四日市祭」「大四日市まつり」「秋の四日市祭」
「四日市祭」は、諏訪神社の氏子町である、現在の中部西小学校・中央小学校・浜田小学校の校区にある町内が、諏訪明神の神徳に感謝し、町内ごとに競って「黎り」を奉納した盛大な祭礼でした。
四日市の諏訪神社は建仁2年(1202)に、信州の諏訪神社の御分霊をこの地に勧請。建御名方命と八重事代主命を主祭神とし、四日市・浜田の産土神として地域の人々から信仰を集めてきました。また、社頭が東海道に面し、多くの旅人が道中に参拝したといいます。
祭礼日は古くは諏訪明神の縁日を中心に7月25~27日に行なわれていましたが、明治維新後の改暦などで月遅れとして8月25日~27日、その後疫病などの影響で明治中期には9月25日~27日となりました。山車の上で獅子が舞う大山車やみこしを始め、氏子町26ヶ町がさまざまな工夫の末に神前に奉納した「黎物」が評判を呼び、東海地方を代表する秋の風物詩だったといいます。
しかし、多くの黎物が戦災で焼失したことや、戦後始まった市民祭である「大四日市まつり」に、焼失を免れたものや戦後復興された四日市祭の黎物が出演するようになり、昭和49年頃から四日市祭はほとんど忘れられてしまいました。
近年、「秋の四日市祭」として復興し、10月第一日曜日とその前日の土曜日に執り行われています。